という視点で見てくれるようです。 そして、注意や助言をした方がいいと思われる場合も、 それを今言って、本人が受け取れるか、 本人の意欲や成長に繋がるかという視点で考えてくれるそうです。 発達障害やHSP、HSC...
」とクチコミで応援し最後のシングル "微笑みがえし" で初めてチャート1位を獲得したのです。 百恵ちゃんはファイナルコンサートでファンに深く一礼して白いウエディングドレスみたいな雰囲気の衣裳でマイクを置いて去って行く姿は今でも忘れられません ご結婚なされて奥様になられてもうそれ以降一切ご自分の意思では出たことないんです。 でもそれは今でもずっと神秘的というか守ってらっしゃるというイメージですよね。 しかし、この百恵ちゃん引退の時には素晴らしいストーリーがあるんですよッ 百恵ちゃんのファイナルコンサートは10月5日の日本武道館で終わったのですが始まりは9月30日だったんです。 でもこの9月30日に最初の最初の!コンサートをやった人がいるんですよ そうです… 松田聖子 ちゃんなんですッ 聖子が同じ9月30日に実は最初のコンサートをやるんですよ!!!! 百恵ちゃんのファイナルコンサートが終わってその後少しテレビにも出るんですが、その百恵ちゃんの本当の引退を待って聖子ちゃんは1位になるんです 「風は秋色」 で これ伝説的ですよねっ、凄くないですかつ!!!! そしてピンクレディーが活動期間わずか4年7ヶ月で空席まじりの解散コンサート。 9曲連続1位というのは当時誰も破れないって言ってたし5曲連続ミリオンセラーというのも誰にも破られない記録って言われてて、それからアメリカでレコードデビューして世界3大ネットワークのNBCでレギュラー番組「ピンクレディーショー」をやるわけです、しかもゴールデンタイムですよ で、そのアメリカに行ってる時期がちょっと長かった。 子供たちにも支持されてたんだけど、そこからちょっと1位が取れなくなって来て最後、後楽園球場で解散するんですがなんかストーリーが皆すごい、3組とも。 そしてっ!
72 ID:hhHr0yI40 >>74 漫才ブームのときのザぼんちとかアイドルみたいな扱いだったしね でも、男性アイドルの話をだすとスレが止まってしまう (´・ω・) >>74 中山秀征とかもそうだろ スレの流れ止めたらごめんw 調べ物ついでに光GENJIの「太陽がいっぱい」ってシングルの事も調べてたんだけど売り方スゴイね。 7インチ、CDシングル、シングルカセットの販売形態で7種類のジャケット&ポートレイト違いを1週間おきに発売、その後AB面を入れ替えて発売してオリコン5週連続1位+年間4位っ 握手券とか無しに同じ収録曲のシングルをこんな売り方してたのって前にも後ろにも例を見ないような。 あと少年隊とか忍者とか男闘呼組とかc/w違いのシングル出したりしてて、近年はよくある売り方だけどジャニーズって時代を先取りした販売方法とってたんだなあ >>76 ザ・ぼんちはアイドル扱いされてたのか… >>77 中山秀征のレコードってチェックしてなかった てゆか唄ってたの知らなかったw ありがとう >>79 おさむちゃんでーっす で女性ファンがキャアキャア言ってたからね B&Bもアイドルだった さすがに、ツービートは辛口扱いだったけど >>80 wikiちらっと見たら全国ツアーとか武道館コンサートとかやってたんだね すげえ コンサートって事は漫才じゃなくて歌を唄ってた…んだよね? LPも出してるから選曲その辺からかな おさむちゃんは意外とオシャレ しゃきしゃきビーチタウンの季節でつ(´ω`) 86 昔の名無しで出ています (ワッチョイ 99b0-P2Ov) 2020/08/07(金) 22:03:22. 41 ID:SS37OGC10 89 昔の名無しで出ています (ワッチョイ 99b0-P2Ov) 2020/08/08(土) 20:09:01. 11 ID:ytudjK9v0 小泉今日子、無観客配信ライブ開催にネット歓喜「嬉しすぎて泣きそう」「ワクワクする」「スターダストメモリーが聴けたら…」 声が出ないとアコースティックでごまかすよな 竹内まりやと中森明菜、解釈が分かれた「駅」の歌詞を深読み解説 <明菜篇> デモのレコーディングで竹内まりやが"を"とってうたってしまった >>94 山下達郎にダメだしされたんだよな >>97 へーそうなんだ ●時代を象徴する女性歌手の系譜 60年代 美空ひばり ↓ 70年代 山口百恵 → 中森明菜 → 工藤静香 → 浜崎あゆみ ↓ 80年代 松田聖子 → 小泉今日子をはじめとするアイドル全般(おニャン子含む) ↓ 90年代 安室奈美恵 → 倖田來未 → ハロプロ ↓ 00年代 宇多田ヒカル → 椎名林檎 ↓ 10年代 グループアイドル分化が進む >60年代 美空ひばり デタラメw >70年代 → 中森明菜 → 工藤静香 → 浜崎あゆみ デタラメw >00年代 宇多田ヒカル → 椎名林檎 デタラメw ハロプロとかいれるなら山口百恵よりピンクレディーだろ >>107 観客を通常の1/10くらいにして 超プラチナチケットにでもした方が話題になると思うけどな >>109 それだとNHKが非難されて話題になると思うけどな キョンは700曲?
2017年10月28日 更新 80年代バブル期に華々しくデビューしたものの、残念ながら大スターになることはなかったアイドルたちの「アイドル・ミラクルバイブルシリーズ」。みんな可愛くって、しかも今聞き返すとヒットしなかったのが不思議なくらい良い曲ばかりなんです。ぜひ覗いてみてください。 アイドル・ミラクルバイブルシリーズ 80年代に華やかにデビューし、大スターにはなれなかったものの、忘れがたいアイドル達のベストアルバム「アイドル・ミラクルバイブルシリーズ」というものが、ソニー、東芝EMI、コロムビアの3社合同企画として発売されています。全シングルAB面&アルバムから選曲された代表曲を収めたこのシリーズはファンは勿論のこと、ファンでなくても楽しめる充実したものばかり。 中でも大推薦のソニー編をご紹介します。 松本典子 最初にご紹介するのは「のりりん」こと松本典子。可愛いです!応募総数が歴代最大の18万325人の中から第3回「ミス・セブンティーンコンテスト」で見事グランプリに輝いてデビューしました。 デビュー時のキャッチフレーズが「とどくかな、笑顔。」。納得です! 松本典子 さよならと言われて (1985) 代表曲のひとつ1985年発売の「さよならと言われて」ですが、胸キュン・アイドルポップの名曲ですね。作曲はユーミンですが、他にも中島みゆき、尾崎亜美、矢野顕子、エポなどなど制作陣に実力者をずらりとそろえていて聴きごたえがあります。 でも、売れなかったんですよね。残念というか、もったいない感じですね。 伊藤美紀 アイドルファンであれば、顔をみれば一発でそれと分かるホリプロ・スカウトキャラバン出身で1987年にデビューした伊藤美紀。 モモコクラブのメンバーでもありました。 デビュー曲は1987年の「小娘ハートブレイク」です。作者は後に人気作家となる井上ヨシマサで、テクノポップ歌謡を颯爽と歌う姿がなんと可愛いのでしょう! 伊藤美紀 【小娘ハートブレイク】 伊藤智恵理 1987年、テレビドラマ「キスより簡単」の挿入歌「パラダイス・ウォーカー」でデビュー。同ドラマに出演もしています。 もちろん可愛いいのですが、伊藤智恵理はどちらかと言えばデビュー当時から美人ですよね。 そして写真で見るよりも、動画の方が断然イイです。 2015年の第6回「国民的美魔女コンテスト」で応募総数1600名の中から、18人のファイナリストに選ばれるなど、現在でも活躍されています。まぁ、納得ですよね。 伊藤智恵理 パラダイス・ウォーカー 我妻佳代 おニャン子クラブの会員番号48番の我妻佳代もまたホリプロスカウトキャラバン出身です。おニャン子クラブ解散後の1987年11月に「プライベートはデンジャラス」でソロデビューを果たしました。 思い出を語ろう 記事コメント Facebookでコメント コメントはまだありません コメントを書く ※投稿の受け付けから公開までお時間を頂く場合があります。 あなたにおすすめ 関連する記事 こんな記事も人気です♪ えげつない!80年代アイドルの若い頃の美女っぷり!
1970~80~90年代のアイドルの中で、売れなかったのが残念だった人はいますか? 1970~80~90年代にかけて登場したアイドル(男女問いません)の人たちで、才能やキャラクターで非常にいいものを持っていたにもかかわらず、結果的にいまひとつブレイクできずに終わってしまったのが残念だったり、「もっと人気や評価が高くてもよかったんじゃないか」という人がいたら教えてください。 あの人は今 ・ 2, 751 閲覧 ・ xmlns="> 25 ①井上望:歌唱力抜群。 ②倉田まり子:スキャンダルに巻き込まれなければ。 ③原真祐美:美人だったが個性に欠けた。 ④浜田朱里:山口百恵に似た雰囲気があり、もっと売れると思ったが。 ⑤中野美紀:同上。 ⑥木元ゆうこ:典型的な80年代アイドル。 ⑦ラブリーズ:歌は良かったが本人たちにインパクトが無かった。 ⑧桑田靖子:大変失礼ながら、顔がアイドル向きではなかった。 ※番号は順番ではなく、整理のために付けました。 ThanksImg 質問者からのお礼コメント 熟慮の末にベストアンサーを決定いたしました。 ご回答くださった皆様にお礼を申し上げます。有難うございました。 お礼日時: 2012/6/13 13:12 その他の回答(7件) >1970~80~90年代のアイドルの中で、売れなかったのが残念だった人はいますか? 鮎川由美 デビューは1973年 デビュー曲の「私達」は売れてもおかしくない曲でしたけどね。 私達 歌って踊れる4人組の女の子 『セイントフォー』 ですね~。 所属事務所とレコード会社との トラブルが解決せず、 解散を余儀なくされた彼女達‐ 無念だったと思いますよ。 気の毒でした 。 。 。 キャロライン洋子 伊藤さやか 五十嵐いづみ 一条寺美奈(いちじょうじ みな) 志村香 島田奈美 仁藤優子 円谷優子(つぶらや ゆうこ) 姫乃樹リカ(ひめのぎ りか) 下川みくに 吉田真里子 田村英里子 相川恵里 中嶋美智代 馬渕英俚可(まぶち えりか) とても"COOL"な「湯江健幸」 ユニットアイドルの平成女組 藤井一子 立花里沙 チェキっ娘 韓国ユニット S. D. S アクターズの D&D EARTH 初期のdream
私、一生働くの!? "って(笑) 」 結花 「アハハハ(笑)。私、アイドルはすごくやりたいお仕事だったんですけど、別にやりたい仕事もあって」 伊代 「え、そうだったんだ」 結花 「 学校の先生になりたかったんですよ 」 知美 「すごい! 何の先生に?」 結花 「小学校の先生。だから、アイドルにはなれたけど、大学に行くくらいまではやろうかな、って。確か事務所にも4年間だけで、みたいなことを伝えていた気がします(笑)」 伊代 「結花ちゃんは何歳でデビューしたの?」 結花 「16歳です。だから20歳くらいまで、という感じで考えていたんですけど、気がついたらこんなに長く……(笑)。でも、こう聞くとみなさん"ずっとやっていく"という感じじゃなかったんですね」 彼女たちのデビュー当時、新人にはいろいろなキャッチコピーがつけられた。ファンに対してそれぞれの個性を印象づけるためだった。その中には個性的なものもあって─。 伊代 「 私は"瞳そらすな僕の妹"でした。 『たのきん全力投球!』という番組の中で、田原俊彦さんの妹役でデビューしたんです。当時、"妹"というのが流行っていたんですよ」 知美 「そうでしたね」 伊代 「当時、事務所の先輩だった大場久美子さんも"一億人の妹"というキャッチコピーだったかな。結花ちゃんは……」 結花 「やめてください(笑)。 "不思議チック少女"って、もう謎ですよね、謎 。初めて聞いたとき"えっ? "って思いましたから。でも、そこで意見を言っても変えられるわけでもないので"ああ、そうなんだ……"って。いまだに何が不思議チックなのかわかりません(笑)」 知美 「私は雑誌『モモコクラブ』のコンテストでグランプリをいただいたので、"菊池桃子の妹分"といわれてました。一応、 キャッチコピーは"1秒ごとのきらめき"っていただいたんですけど、意味がいまだにわからない(笑) 」 伊代 「大丈夫、今もきらめいているから(笑)」 今の時代、アイドルはできないかも…… 知美 「デビューしたときは、わけもわからずやっていたな、と思いますね。でも、今のアイドルの方たちって大変だと思いませんか?
シングル?枚、アルバム1枚 北海道出身で1988年にメジャーデビューしたポップロック歌手としか判りません。 ミニーと検索しても『ミニーマウス』か外国人アーティストしか引っ掛かりません。 軽めのロックは聴き流すには良いですが、心を打つものがありませんでした。 ⑥守谷 香 1969年7月26日生 (48歳) 愛知県犬山市出身 1986年~1997年 20006~? シングル8枚、アルバム2枚 何となく名前は覚えてましたが、唄は全く記憶なし。 X-JapanのTOSHIの元奥さんだって事もつい最近知りました。 甘ったるい歌声は、決して爽やかではありませんが、この手の類いが好きな人は嵌まるかも。 私はダメでした(笑) ⑦結城梨沙 購入CD (当時もの) 1968年7月13日生 (49歳) 千葉県出身 1985年~ 上記のジャケットのイラストは、あの『彼女のカレラ』の原作者、麻宮騎亜氏の若い頃の作品です。 一見アニメシンガーと思われますが、れっきとしたポップシンガーです。 ルックスも唄もなかなかですが、売れなかったのは何故でしょう。 些か、個性に乏しかった気がします。 ⑧ユミ飛鳥 購入CD(復刻版) 1962年9月21日生 (55歳) 神奈川県出身 1982年~1983年 シングル2枚?、アルバム1枚 彼女は、青山にできた日本初のミニFM局のアイドルDJ だったらしい。(そりゃわからんわ) ポップロック調の唄はリズミカルで上手い! 何故売れなかったかは、やはりミニFMだったから? ⑨ラッコ組 メンバー(結成当初) ・冴島奈緒 ・斎藤 唯 ・葉山みどり 入れ替えメンバー ・星川ミグ ・森村あすか 1988年~1989年 シングル2枚、アルバム1枚 アイドルブームに乗っかって、当時の●V 女優を集めて作ったユニット。 ラッコ組とは●っ娘組を音読みにしただけ。 付け焼き刃感がバリバリ伝わります。 当たり前ですが、唄も勿論それなりでした。 ⑩ラブポーション 購入CD (再販当時もの) メンバー ボーカル笠井則江他4名のガールズバンド 1983年~1986年 シングル6枚、アルバム2枚 当時から赤坂小町やSHO-YA、レベッカなど、ガールズバンドは沢山ありました。 その中の一組にすぎなかっただけで、一曲売れれば人生が変わっていたかも。 ユニットとしてはしっかり出来てました。 如何でしたか?
"って聞かれたんです」 結花 「で、どんなアドバイスを?」 知美 「私、全然続けてないのでわかりません、て(笑)。でも、渡辺美奈代ちゃんがずっとデビュー当時からのイメージを大切にしていて、 あなたはトイレに行きますか? と聞かれたら"私は行かないし、行ったとしてもマシュマロしか出しません"と。 だからイメージが大切なので、そのような質問がきたら、スイーツ系でお答えしたらどうですか、と言ったらその方がまじめにメモをとりながら"わかりました、私はかりんとうって言います"って(笑)」 結花 「それって、だいぶ寄ってません?
© 週刊女性PRIME 左から松本伊代、西村知美、大西結花 歌番組が全盛の'80年代、誰もが憧れたアイドルたちーー。時を重ねても、その輝きは変わらない。今でもプライベートで食事をしたり、イベントで共演するという3人が集まっての座談会。読んだらあなたも、"GO TO '80"!! "アイドル絶世期"ともいわれる'80年代。現在のようなグループでの活動は少なく、 個人としてアイドルが光り輝いていた時代を駆け抜けた"スター"たちの中から今回、 松本伊代 (55)、 大西結花 (52)、 西村知美 (49)の3人が登場! デビューしたての10代、歌番組での思い出など、どんな話が飛び出してくる!? "とりあえず10年"と 事務所に言ったら…… 伊代 「 私、デビューが'81年だから、来年で40周年を迎えるんですよ 」 結花 ・ 知美 「おめでとうございます! 」 結花 「でも40年って、信じられないです……」 伊代 「ねぇ、信じられないよね……。 こんなおばさんになるまでこの世界にいるとは思ってもいなかったし(笑) 」 知美 「私、この世界に入ったとき、事務所の方に"とりあえず10年頑張ります"ってお話ししたんです」 結花 「え、10年と具体的に言うことがすごい」 知美 「そうしたら、 "えっ? この世界に10年いられる自信あるの? "って(笑 )」 伊代 「あきれられちゃったんだ(笑)」 知美 「2年目のジンクスって、デビューのときにすごく言われていて。私、映画出演と、その主題歌を歌ってデビューしたんですけど……」 結花 「『ドン松五郎の生活』ですよね」 知美 「そう! もしこの作品が当たらなかったら、私は干されると思っていて(笑)。映画に出ていたドッグトレーナーさんがすごくカッコよく見えたから、 もし干されたら学校に行ってドッグトレーナーを目指そうって 」 伊代 「そのお仕事が新鮮に見えたのね。私は当時、何も考えられなかったな。売れなかったら、シングルを1~2枚くらい出させてもらって、それで終わりかなって。万が一、売れても結婚とかしたいし、旦那さんがダメって言ったらアイドル辞めるのかなとか。漠然とした感じでしか思ってなかったと思う」 結花 「知美ちゃんみたいに、事務所からは何か言われました?」 伊代 「事務所よりも、 母から"一生できる仕事よ"って言われて。"頑張りなさい"って言われたけど、"ええ!?
で、自分が高校生になった89年辺りで、世間はもうCD一色。(少なくとも売り場は完全に。)――おかげでこの頃、中古レコードが結構価格破壊というか、売れていて枚数がある商品については、安い店なら一枚50円くらいで売られていたような記憶があります。(銀座数寄屋橋の「サウンドマーケット・ハンター」とか、よく漁りに行きました。笑) いや、それまで喉から手が百本くらい出るほど(妖怪。笑)欲しかったけど、買えなかったシングルレコードが、50円で買えてしまうなんて! この時期、ホクホクしながら買いまくっていましたねー。 でも、そのうち、中古屋を探してもなかなか売られていない「レアアイテム」――つまり「あまり売れなかったので中古市場にも出回っている枚数が少ない」レコードを、探すようになるわけです。 でも、どーーーしても見つからないレコードって、あるんですよねぇぇー。 当時はまだ、インターネットなんてない時代。自分の足で、店を回って陳列されているものを一枚一枚探すしかなかったんです。 ガイド本の中古レコード屋を片っ端から、行ける範囲でしらみつぶしに回っても、どこにもない。(当時は中古レコード屋さんって、今よりたくさん「点在」している感じでした。まだブックオフ的な店は存在していなかった時代だったと思います。) これだけの数の店を回っているのに。どうしてもない!ない!どうして見つからない? !そんなレコード。(例えば、特に88年後半から89年リリースの作品は難しかった。プレスはされてカタログとしてはあるけれど、世の中に流通したの、その頃はもうほとんどCDばっかりだったから。) だから行きましたねー、ええ、行きましたとも、最後の砦。 蒲田の「えとせとらレコード」。 そう、「えとせとら」に行くと、あったりするんです。(但し相当値段が「ふっかけられている」感じでしたけど。) ここら辺の88~89年リリースのものは、どうしても見つからなくて、えとせとらレコードで買ったものだったかもしれません。 ――が、「えとせとら」でも、「更なる」レアアイテム、つまり「本当の希少盤」は、年2回の「セール」の時にしか店頭に出ないんですよねー。 いやー、早朝行って並びました。で、整理券受け取って、目当てのレコード、お客さんぎゅうぎゅう詰めの店内で、血眼になって探しました、ええ、ええ。今となってはいい思い出ですねー。 ま、90年代の新宿の中古盤屋とかでは、元々の売値が700円のシングルレコードに、10000円とか法外な中古価格付けて売ったりしていましたから、(但しそのレコードは、さすがに「新品同様」で綺麗でしたねー。またはそうでなくても人気のない歌い手さんの更に本来市場には出回らない「プロモ盤」とかね。)、まだ「えとせとらレコード」は、良心的なほうだったかな??